東日本大震災:発生当日、東電会長ら不在 翌日帰社、対策本部も社長なしで
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110318ddm041040010000c.html
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東日本大震災が起きた11日、東京電力の勝俣恒久会長、清水正孝社長ら最高幹部3人が出張中で、当日中に本社へ戻れなかったことが17日分かった。社内では震災当日の11日中に非常災害対策本部が立ち上がったが、本部長の社長は不在だった。
東京電力や関係者によると、勝俣会長と皷(つづみ)紀男副社長は震災当日、日中の経済交流を進める「愛華訪中団」の一員として中国・北京にいた。勝俣会長が団長で、12日まで上海や南京などを回り、中国政財界幹部と会合を開いた。11日は成田空港が使えず、勝俣会長らは12日に帰国した。
また、清水社長は当日、関西方面に出張中だったが、11日に電車で帰京できず、翌12日にヘリで戻ったという。清水社長は地震発生から2日たった13日夜に初めて記者会見を開いた。
東京電力広報部は毎日新聞の取材に事実関係を認めた上で「問題があったかなかったか、今はコメントできる段階ではない。(原発事故対策など)安全を最優先に取り組んでいる」と説明している。
毎日新聞 2011年3月18日 東京朝刊
東電の会長が怒鳴る「天下りは良い。国の金で育て上げた優秀な人材を東電で使って何が悪い
東京電力をつぶす男 AERA-net.jp
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東京電力の勝俣恒久会長(71)にとって、3月11日は運命を暗転させた忌まわしい日となった。
その日まで勝俣の権勢は揺るぎないものだった。子飼いの清水正孝を後任社長に抜擢し、3年を迎えようとしていた。世論の反発が予想されたにもかかわらず、あえて資源エネルギー庁長官だった石田徹を顧問に招き、この天下りを副社長に起用するつもりでいた。
"凶報"を知ったのは中国・北京でのことである。現地時間の午後3時前(日本時間の午後4時前)、移動中のバスのなか、前席の元木昌彦・元「週刊現代」編集長からiPadを渡された。元木はアサヒコムのニュースで大地震を知った。後ろにいる東電の皷紀男副社長に、かなり大きいよ、とiPadを手渡すと、2人はじっと画面を見つめていたようだった。
勝俣と皷は携帯電話で連絡を試みたが通じない。気は焦っただろうが、成田空港は封鎖され、その日のうちに帰れない。帰国したのは翌12日だった。その日、福島第一原発1号機は水素爆発した。瞬く間に人類史に残るチェルノブイリ級の災厄へと広がっていった。
つい1週間前まで勝俣王朝に衰微の兆候は微塵もなかった。3月4日、エネルギー業界の担当記者OBを集めた懇親会で、あるOB記者が石田の天下り受け入れに疑問を呈すると、勝俣は血相を変えて激高した。
「国家のお金で育て上げた人材をもったいないじゃないか!」
怒髪天を衝く勢いに驚いたOB記者は、南直哉元社長のそばに行き話題を変えた。すると勝俣は南に向かって、「この人に言っときましたから」と言い放った。OB記者は勝俣のその後に「傲慢の罪」の報いを見るーー。
【福島原発・東電】 東京電力を潰す男、「カミソリ」と呼ばれた東電会長・勝俣恒久
2012年06月で退任
政府、公的資金注入にともない東電・勝俣会長を6月の株主総会で退任させる方針固める
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政府は、東京電力への公的資金注入にともない、勝俣会長を2012年6月の株主総会で退任させ、後任を外部の民間出身者から選ぶ方針を固めた。
東京電力と原子力損害賠償支援機構は、東京電力の今後の経営体制などを示す「総合特別事業計画」を3月に策定することにしているが、その中で、公的資金による資本注入や、勝俣会長の退任などを盛り込む方針。
西沢社長の去就は未定となっている。
勝俣会長退任の時期は、6月の株主総会とみられている。
政府は、経営の透明性を高めるため、東京電力を、社外取締役が影響力を持つ委員会設置会社にして、後任の会長を外部の民間出身者にする方針。
しかし、人選については難航しているという。
(02/09 12:44)