63歳(2011年09月08日時点)。衆議院議員(7期)。北海道第4区選出。
2011年9月2日、野田内閣発足に伴い経済産業大臣に就任。
福島第一原子力発電所の周辺を視察後、「死の街」、「ほら、放射能」と発言
「ほら、放射能」の元ネタはコメディアンのケーシー高峰氏。
笑点の演芸のコーナーで見ました(放送日は失念)。
震災後もいわき市に住み続けるコメディアンだから許される(?)ネタですしおすし。
時系列
▼2011年09月02日
経済産業大臣に就任。
▼2011年09月08日
「ほら、放射能」発言
福島第一原発の視察後、議員宿舎に帰宅した際、近くにいた毎日新聞男性記者に近寄り、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言と共に、「防災服をすりつける仕草」をした。
当時、この件については特に言及されることはなかった。
▼2011年09月09日午前
原発周辺の市街地を「死の街」と表現
閣議後会見で「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と発言。
野田佳彦首相は同日、「不穏当な発言」として謝罪と訂正を指示。
▼2011年09月09日午後
記者会見で「死の街」発言を陳謝
▼2011年09月10日昼過ぎ
08日の「ほら、放射能」発言が発覚、陳謝。
経済産業大臣辞任は否定。
▼2011年09月10日夜
東京・赤坂の衆院議員宿舎で野田佳彦首相と会い、辞任を申し出て了承された。
参考
原発周辺市町村「まさに死のまち」 鉢呂経産相が発言
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2011年9月9日14時8分
鉢呂吉雄経済産業相は9日の閣議後会見で、前日に野田佳彦首相らと視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について、「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と述べた。
経産相は野田首相の発言を引用し「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」とも述べたが、いまだ多くの人々が放射性物質がもたらす健康への被害を懸念し、住み慣れたふるさとをはなれざるをえない状況のなか、原発事故の被災地を「死のまち」と表現したことは今後問題になる可能性がある。
鉢呂氏「死の街」発言 野田首相「不穏当」と謝罪求める
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2011年9月9日16時59分
野田佳彦首相は9日午後、鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第一原発の周辺市町村を「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」と述べたことについて、「不穏当な発言だ。謝罪して訂正して欲しいと思う」と述べた。視察先の三重県内で記者団に語った。
鉢呂経産相「死のまち」発言を撤回、陳謝
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2011年9月9日17時46分 鉢呂吉雄経済産業相は9日午後の記者会見で、視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について「死のまち」と述べたことについて、「被災者の皆さんに誤解を与える表現で、真摯(しんし)に反省する。表現を撤回させていただき、深く陳謝を申し上げる」と語った。
鉢呂経産相は午前中の記者会見で、前日に野田佳彦首相の同行で訪れた原発周辺自治体について、「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と述べていた。
鉢呂経産相は午前の会見で、「福島の汚染が経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ」「現場の作業員は予想以上に前向きで、活力を持って取り組んでいる」という発言もしており、午後の謝罪の会見では、「表現が十分でなかった」「全体の私の思いは皆さんにも理解いただけると思う」と述べた。
鉢呂氏「放射能つけちゃうぞ」 「死のまち」発言は陳謝
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2011年9月10日1時30分
鉢呂吉雄経済産業相は9日夕の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について「死のまち」と表現した自らの発言を撤回し、陳謝した。この発言をめぐり、野田佳彦首相は同日、「不穏当な発言」として謝罪と訂正を指示。原発事故の被災地も反発している。
また、鉢呂氏が8日夜、記者団に「放射能をつけちゃうぞ」と発言していたことも明らかになった。野田首相らとの福島県視察を終え、東京都内の衆院議員赤坂宿舎に帰宅した時のこと。この際、取り囲んだ記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけるようなしぐさもしていた。
鉢呂氏の「死のまち」発言が出たのは、9日午前の閣議後会見の冒頭。8日の福島県視察を取り上げ、原発周辺の状況を説明する中で「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形だった」と述べた。
鉢呂経産相に早期辞任論 本人釈明「記憶定かでない」
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2011年9月10日13時54分
鉢呂吉雄経済産業相は10日、福島県の被災地を視察後に記者団に「放射能をつけちゃうぞ」などと語ったことについて「記憶は定かでない」と釈明した。そのうえで「原発事故の早期収束に全力でやっていく」と述べ、辞任を否定した。野田佳彦首相は同日中にも鉢呂氏と会い、真意を確認する意向だが、政権内からは早期辞任論も出ている。
鉢呂氏は8日午後11時20分ごろ、福島視察後に東京都内の衆院赤坂議員宿舎に防災服のまま帰宅。取り囲んだ5、6人の記者の一人に「放射能をつけちゃうぞ」と語り、服の袖をなすりつけるようなしぐさをした。その他、鉢呂氏は視察の感想などを語った。
鉢呂氏は10日昼すぎ、東京都内で記者団に、自身の発言について「記憶は定かでない。大半は真剣な話をしたと記憶している」と説明。「国民や福島のみなさんに大変なご迷惑、不信の念を与えたとすれば心からおわびしたい」と陳謝する一方で「今後ともがんばっていきたい」と述べ、引き続き経産相の職務に当たる考えを示した。
野田首相は10日昼、視察先の宮城県気仙沼市で記者団に「本人によく真意を確かめさせていただきたい。直接会う機会をなるべく早く取りたい」と述べた。鉢呂氏の進退には触れなかった。
鉢呂経産相が辞任 「死の町」「放射能うつす」発言で引責
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2011.9.11 00:47
鉢呂吉雄経済産業相は10日夜、東京電力福島第1原発事故の現場周辺を「死の町」と表現し「放射能をうつしてやる」などと記者に発言した責任を取り、野田佳彦首相に辞表を提出、受理された。野田内閣は発足後わずか9日目で主要閣僚が辞任する事態となり、政権は大きな打撃を受けた。
政府は10日夜の持ち回り閣議で、経産相の臨時代理に11日付で藤村修官房長官を充てることを決めた。ただ、臨時国会召集までには専任の経産相を置くべきだとの声もあり、直嶋正行元経産相や小沢鋭仁元環境相らの起用が取り沙汰されている。
鉢呂氏は、東京電力福島第1原発事故を受けたエネルギー政策の見直しを所管していた。野田政権は原発事故への対応を最優先課題と位置付けており、停止中の原発再稼働をめぐる政府の判断や、地元自治体との今後の調整にも影響を与えそうだ。
鉢呂氏は10日午後7時から、都内の衆院議員宿舎で首相と会談し、辞表を提出した。その後、経産省で記者会見し「一連の発言で国民とりわけ福島県民の皆さんに、多大な不信の念を抱かせ、心からおわび申し上げたい」と謝罪した。
これに先立つ10日昼過ぎ、鉢呂氏は都内で記者団に対し「全力を挙げて事故の早期収束に向けて頑張りたい」と述べ、続投に意欲を示していた。
しかし、民主党の前原誠司政調会長は都内で記者団に「大変ゆゆしき問題だ」と指摘。閣僚経験者も「緊張感が足りない。野田内閣が問われる」と述べるなど、党内からも早期辞任を求める声が上がっていた。
鉢呂氏は8日に第1原発の周辺を首相とともに視察。8日夜に帰京した際、都内の議員宿舎で記者団と懇談中、防災服の袖をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」などと発言。9日の記者会見では、地元の自治体の状況について「まさに死の町という形だった」と述べていた。
鉢呂氏の在任期間はわずか9日間で、民主党政権下での任期途中での閣僚辞任は7人目。