岩手県陸前高田市「奇跡の一本松」
費用:約1億5000万円
サイボーグ化される「奇跡の一本松」 1億5000万円もの費用に疑問の声
2012/8/31 19:54
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巨大津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が、1億5000万円をかけて保存工事が行われることになり、ネット上で論議になっている。
7万本もあった名勝「高田松原」は震災直後、一瞬のうちに壊滅状態になってしまった。その中で、唯一立ち残ったのが「奇跡の一本松」だ。
「石碑やレリーフなどで代用できる」
その姿は、市民に勇気を与え、復興のシンボルともされた。ところが、地震による地盤沈下で、海水が土壌にしみ込んで塩分が多すぎる状態となり、一本松は徐々に衰弱が進んで枯死と診断された。
これに対し、陸前高田市は、一本松の保存に乗り出すことを決め、2012年9月12日から工事に着手することになった。作業では、高さが27メートルもある一本松を根元から切り倒し、幹を5分割して、その芯をくり抜く。そして、防腐処理をしたうえで、金属製の心棒を幹に通してモニュメントにする。震災2周年の節目になる13年3月11日には、元の場所でお披露目したい考えだ。
1億5000万円もの費用については、税金は使わず、募金で賄いたいとする。それは、被災地の課題が山積しており、保存に多額の予算は投じられないとの判断からという。市は、12年7月5日に「奇跡の一本松保存募金」のサイトを立ち上げ、フェイスブックからも募金の受け付けを始めた。
とはいえ、ネット上では、被災者が未だに避難生活を続けている中で、一本松の保存に多額のお金を投じることに疑問の声が多い。
「さすがに高すぎだろ…」「もっと他に金をかけるとこがあるのでは?」といったものや、石碑やレリーフなどで代用できるのではないかという意見も多かった。また、一本松の接ぎ木で苗が育てられていることから、こうした試みで十分ではとの声もあった。もっとも、「観光のシンボルにして町興ししようとしてるんだろう」などと理解する向きはある。
多額出費の理由について、市の都市計画課では、こう説明する。
寄付金借用で災害復旧に支障が出る?
「これだけの高さの木を保存するのは、世界でも例がないことだと言われています。工事はとても困難で、複雑な構造計算が必要なうえ、特殊な工法を使わないと、強度を保つことができないんですよ」
そのため、一般競争入札は行わず、2社の提案を比較検討し、東京が本社の業者と随意契約する準備を進めているとした。業者名や技術内容については、2012年9月5日の会見で公表するとしている。
陸前高田市の都市計画課によると、募金は、8月末までに2200万円が集まった。もちろん、これではとても足りず、当座の資金として、市の「東日本大震災絆基金」から一時的に借用する考えだ。
絆基金は、災害復旧・復興のため市がホームページなどで募っている一般からの寄付金4億円余が積み立てられている。用途はまだ決まっていないが、道路や住宅の整備などに使われる可能性がある。一本松の保存工事にはあと1億円以上足りず、もし基金のお金がその分借用されるなら、災害復旧などに支障が出ることにはならないのか。
この点について、市の財政課では、こう説明する。
「災害復旧などについては、国からお金が出ており、当面はそれで賄えます。5~10年は大丈夫と考えており、すぐに支障が出ることはないと考えています」
寄付金の目的外使用に当たらないかについては、「寄付金をそのまま充当すれば、確かにその通りになります。しかし、一時的な借り入れですので、目的外使用には当たらないと思います」と言っている。
2013年03月 千葉県浦安市「液状化で地上に突き出したマンホール」
費用:約150万円
浦安 液状化遺構ひっそり完成
2013年3月2日 朝刊
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千葉県浦安市で、東日本大震災による液状化で地上に突き出したマンホールの震災モニュメントがひっそりと完成した。震災を後世に伝えようと保存に着手した市に対し、一部住民から「忘れたい記憶をわざわざ思い出させる」と反発の声が上がっていた。市はお披露目式典は開かず、整備を終える。 (村上一樹)
マンホールは、高層マンションが立ち並ぶ「高洲中央公園」の駐車場にある。液状化でアスファルトを突き破り、高さ約一メートルほどキノコのように頭を出した。もとは地下に埋設した災害用貯水槽の一部だったが、震災時に壊れ、断水に悩む市民に飲料水を配る機能は果たせなかった。
一帯は一九八〇年に埋め立てた造成地。震災で地割れが起き、泥水が噴き出した。マンホールは市内の86%が液状化した被害の象徴として、本紙を含めメディアで取り上げられた。市が約百五十万円をかけ遺構設置に着工したのは二〇一二年秋。防災教育などへの活用も理由に挙げた。一方で、付近の住民らは「一度も市民に問うこともなく拙速に決められた」と反対、昨夏から年末にかけて約四千人の反対署名を市に提出した。
しかし工事はそのまま続行、二月中旬までに完了した。今は道路から目に触れないよう植栽で覆う作業中だ。
すっきりしないまま完成となり、近くに住む主婦(65)は「できてしまったものは仕方ないが、モニュメントは本来は心の支えになるもの。反発を買って造っても仕方がないのでは」と顔を曇らす。
こうした声に、松崎秀樹市長は「震災を風化させないためだけのものだ。華々しくやる話ではなく、除幕式などは考えていない」と理解を求めている。
液状化で地中から飛び出たマンホールを保存した震災モニュメント=千葉県浦安市高洲で(村上一樹撮影)
2013年03月30日 気仙沼に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」
気仙沼に今も残る巨大漁船どうする 「震災の記念碑化」に市民戸惑い
2013/3/30 13:00
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東日本大震災から2年にあたる2013年3月11日、テレビからは多くの特別番組が流れてきた。中継地として頻繁に登場したのが宮城県気仙沼市だ。
津波で陸地に打ち上げられた巨大な漁船が、今もその姿をさらしている。徐々に復興へ向けて歩み出す気仙沼だが、この「震災の象徴」をどう扱うか、市民の間で戸惑いが広がっている。
「船がなくなったら誰も来なくなってしまう」
第18共徳丸。全長約60メートル、総トン数330トンの大型巻き網漁船は、震災から2年が経過しても津波で流れ着いた場所に置き去られたままだ。J-CASTニュースの記者が2013年3月24日に現地を訪れると、多くの人がやって来てカメラやスマートフォンで次々に写真を撮っていた。観光気分の浮かれた雰囲気はなく、船体の前に設けられた簡易な祭壇に手を合わせる人も多いが、撮影をちゅうちょする様子はない。記者は1年前にも同じ場所に来たが、この時はほんの数人が車で来ては遠慮がちにさっとカメラを向けて、すぐに引き上げていた。時間の流れとともに人の意識も変わってきたようだ。
船が打ち上げられた気仙沼市鹿折(ししおり)地区は、津波に襲われたうえに震災当夜には大火災が発生して、一帯が焼けつくされた。積み上がっていたがれきや、焼け焦げた車の残骸の山も、今ではすっかり片づけられ、震災後に建てられたと見られる一部の仮設の建物を除けば目の前には広大な「空き地」が広がる。
第18共徳丸をめぐっては、震災や津波による悲惨な体験を風化させないためにも保存しようとの動きがある。一方で船を所有する水産会社は、4月にも解体する意向を市側に伝えた。菅原茂市長は2013年3月25日の会見で「保存を諦めたわけではない」と話したという。
市民の間では賛否が分かれる。保存に気が進まない表情を見せたのは、佐々木洋一さん(72)。1年前に記者が当地を訪問した際にガイドを務めてくれた男性で、津波により自宅が全壊している。「うーん、どうだろう。(保存施設を)つくるのは簡単だけど、維持管理にどれだけお金がかかることか」。それ以上多くを語らなかったが、被災経験を呼び起こさせる大型船をいつまでも残しておきたくないのかもしれない。逆に、鹿折地区の高台に住む女性は「私はぜひ残してほしい」ときっぱり言い切った。「船がなくなったら、誰も鹿折に来なくなってしまうから」。
皮肉なようだが記者が訪問した日、がらんとした光景が広がる鹿折で人が集まっていた唯一とも思える場所は、第18共徳丸の周辺だった。住民にとって、どんな理由にせよ「集客力」が見込めるものを安易に撤去しては、ますますさびれてしまうとの考えも一理ある。
大槌町の遊覧船は解体、南三陸町の庁舎は議論
一口に被災者といっても、震災被害の度合いや現在の住環境は人それぞれだ。第18共徳丸の取り扱いをめぐる考え方の違いは、そういった事情から生まれるのかもしれない。
他の被災地でも、見た人に強いインパクトを与える「震災のシンボル」があった。岩手県大槌町では、民宿の上に大型遊覧船「はまゆり」が乗りあげ、取り残されたままとなった。保存する意見も出たが、余震による落下の危険性があったため、船を所有する釜石市が早々に撤去に踏み切った。宮城県南三陸町では、防災対策庁舎が「骨組み」だけを残した姿で今もたたずんでいる。これも「モニュメント化」の動きがある一方、被災者の間では「見たくない」と取り壊しを求める声も上がっており、決着がついていない。第18共徳丸と同様のケースだ。
震災から2年、気仙沼の市街地では随分「片づけ」が進んだ。1年前は崩れ去った鉄筋ビルや、スクラップとなった乗用車の山、ボロボロに壊れたバスが何台も目に入ってきたJR南気仙沼駅前も、「何もなくなっちゃったから、どこを運転しているか分からなくなるんですよ」と佐々木さんが苦笑するほど「整理」され、むしろ何もなくなった印象だ。
あちこちで道路のかさ上げのため盛り土作業が始まり、低層の土地に工場を誘致して「工業地帯」とする、といった計画も聞こえてきた。だが、実現に向けて具体的な作業が本格化するのはこれから。今はまだ、生活感のない殺風景な土地ばかりが目につく。
その中で「巨体」をさらす第18共徳丸は異様な存在感だ。震災のつらい記憶を葬るか、永遠に忘れないために残すのか、住民はまだ答えが出せていない。