韓国の支援(笑)
2011年08月下旬 宮城県知事らが訪韓し謝意
宮城知事、29日から訪韓し謝意 交流会議で復興PR
2011.8.23 16:43
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宮城県は23日、村井嘉浩知事が韓国の全羅北道で開催される日中韓3カ国の「地方政府交流会議」に出席するため、29日から31日まで訪韓すると明らかにした。東日本大震災に対する中韓両国の支援に謝意を伝えるとともに、県の復興への取り組みをPRして風評被害の防止を図る。
同会議は3カ国の自治体の国際交流促進などを目的に平成11年から始まり、今回で13回目。村井知事は被災地の代表として参加要請を受けた。このほか、岩手県と仙台市からも関係者が出席する予定。
30日に開催される会議で、村井知事は県の現状を報告し、復興に向けた今後の施策などを説明する。31日にはアシアナ航空を訪問し、仙台-ソウル線の増便を要請する予定という。
2011年09月25日 『日本が韓国に感謝祭』がソウルで開催
韓国で『日本が韓国に感謝祭』が開催される「日本は韓国の支援をずっと忘れないように」
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韓日の伝統文化を通じて相互理解を深める「韓日祝祭ハンマダン(日韓交流おまつり)」が25日、
ソウル市庁前広場で開催された。7回目となる今年は「がんばれ日本! ありがとう韓国!」と題し、東日本巨大地震に対する韓国の支援への感謝と、被災地への激励をテーマに行われた。
イベントでは、武藤正敏・駐韓日本大使が急きょ舞台に上がり「東日本巨大地震以降、韓国の人々の温かい心遣いにより困難を乗り越えることができた。
日本国民に代わり感謝したい」と謝意を伝えた。広場に集まった市民らは、武藤大使に激励の拍手を送った。
また、大地震の犠牲者の魂を慰めるため、サルプリ(厄払いの儀式から派生した民俗舞踊)名人のキム・リヘ氏がサルプリの舞を披露。 市民約2万人が、韓日の伝統舞踊公演、韓服(韓国伝統衣装)や着物の試着など、多彩なイベントを楽しんだ。
日本からは、盛岡さんさ踊りなどに続き、地震や津波による原子力発電所事故で被害を受けた福島県のダンスチーム「フラガール」がフラダンスを披露した。
また、福島県のブースには「韓国の人々の支援で大きな逆境を乗り越えています」と書かれた横断幕が掲げられた。
文化体育観光部(省に相当)の崔光植(チェ・グァンシク)長官も出席し「日本の人々は勇気と希望をなくさないでほしい」とあいさつした。
福島県から参加したキシ・タカシさん(44)は「韓国から非常に多くの支援を受け、一生懸命復旧に 努めている。福島県は、いつか必ず韓国の支援と思いやりに応える」と語った。
また、会場を訪れたシン・スンウォンさん(39)は「韓国と日本はあつれきも抱えているが、切っても切れない関係だと思う。大地震で苦痛を味わった日本を支援した韓国の配慮をずっと忘れないでいてほしい」と話した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/09/26/2011092663019.html
「韓日祝祭ハンマダン(日韓交流おまつり)」
- 2011年09月25日にソウル市庁前広場で開催された
- テーマは「がんばれ日本! ありがとう韓国!」
↑もしかして韓国人が自らに「ありがとう」とか銘打っちゃったの?
- 福島県のブースには「韓国の人々の支援で大きな逆境を乗り越えています」
↑???
- <ヽ`∀´><韓国と日本はあつれきも抱えているが、切っても切れない関係だと思う。
↑いえ、今すぐにでも国交を断絶したいです
- <ヽ`∀´><大地震で苦痛を味わった日本を支援した韓国の配慮をずっと忘れないでいてほしい
↑今後タカりのネタにするんだろうな~
参考
韓国で『日本が韓国に感謝祭』が開催される「日本は韓国の支援をずっと忘れないように」★2
2012年01月23日 福岡市のNPO法人「心を伝える会」
- NPO法人理事長 沢柳則明
- シンガー・ソングライター 宇佐元恭一
- 歌手 紘呂(ひろ)しのぶ
- 前田有紀
- マジシャン 友希天星
震災復興支援ありがとう 釜山で友情コンサート
2012年1月23日 11:49カテゴリー:アジア・世界
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/283479 (リンク切れ)
魚拓:
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昨年3月の東日本大震災の際、韓国から寄せられた支援に感謝の気持ちを伝える「友情文化コンサート」が14日、釜山市の地下鉄駅構内であり、日本から駆けつけた歌手らが歌やマジックを披露した。
コンサートは、音楽公演や慰問などを通じた日韓交流を続けている福岡市のNPO法人「心を伝える会」(沢柳則明理事長)が企画した。
被災地岩手のPR大使を務める福岡市出身のシンガー・ソングライターの宇佐元恭一さんをはじめ、釜山を題材にした持ち歌がある前田有紀さん、宮崎県出身の歌手紘呂(ひろ)しのぶさん、マジシャンの友希天星さんらが出演。「釜山港に帰れ」などの歌が流れると、通り掛かった人たちが足を止めて聞き入っていた。
コンサートの終盤には、宇佐元さんが「韓国のみなさんに日本を代表して『ありがとう』と伝えにきました」とお礼の言葉を述べた。
一行はこの日、市内の釜山日本人学校(48人)でも公演。同校は震災復興のために行ったバザーの収益金や保護者の寄付金を一行に手渡した。
(釜山・塩塚未)
=2012/01/23付 西日本新聞朝刊=
2012年03月15日 ソウルの日本大使館で韓国の支援に感謝を伝えるイベント
韓国の震災支援感謝…日本大使館でイベント
< 2012年3月15日 3:15 >
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東日本大震災から1年を迎えたのを機に、韓国・ソウルの日本大使館で14日、韓国の支援に感謝を伝えるイベントが開かれた。
震災を受け、韓国は真っ先に救助隊員を派遣した他、義援金を提供する動きが広がり、韓国の赤十字社を通じて約30億円が日本に送られた。
在ソウル日本大使館は14日、韓国のこれまでの支援に感謝を伝えるイベントを開き、武藤正敏大使が、被災地で救助活動にあたった国際救助隊や、被災地への募金を呼びかけたNPO(=非営利組織)団体のメンバーらに記念品を手渡した。
また、先月、被災地を訪れた韓国の大学生が、復興に向かう現地の様子をスライド写真で紹介した。大学生のメンバーは「被災地の住民の皆さんから『韓国から水やインスタントラーメンが届き、ありがたかった』などと感謝の言葉をたくさんかけてもらった」と話していた。
2012年10月12日 駐日韓国大使館主催・韓日交流作文コンクール「韓国はベストパートナー」
入選者の方々。みなさん、細い目と立派なエラをお持ちで…。
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東京学芸大学附属中1年 上原 さら |
玉川聖学院高等部3年 廉睿燐 |
創価大学3年 官野 愛実 |
官野愛実以外は作文中で韓国人であることを明言している。
「若い私ら手をたずさえて」…韓日交流作文コンクール
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駐日韓国大使館主催の第3回「韓日交流作文コンクール」の入賞者の表彰式が9月28日、東京・新宿の韓国文化院で行われた。中学生、高校生、学生(大学生、短大生、専門学校生など)部門に、39都道府県196校から727人の作文が寄せられた。最優秀賞は、中学生部門の上原さらさん(東京学芸大学附属中等教育学校1年)、高校生部門の廉睿燐さん(玉川聖学院高等部3年)、学生部門の官野愛実さん(創価大学3年)。3作品とも自らの経験を通して、韓国人と日本人の交流を深めていきたいという思いに満ちている。要約して紹介する。
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私が感じた日本
大地震で知った温かさ…東京学芸大学附属中等教育学校1年 上原 さら
皆さんは、「韓国」と聞いてまずは何をイメージするだろうか。テレビの中のきらびやかな韓流スターや、キムチや辛いスープ? 韓国は、エンターテインメントの華やかな世界もあるが、実は休戦中の国でもある。男の人は、大人になったら何年間か兵役に行き、戦争に備えて軍事訓練をする。一般の人たちも皆、毎月避難訓練をしている。
私は、三年半、この韓国で暮らし、インターナショナルスクールに通った。そこには、様々な国籍の人はもちろん、韓国系アメリカ人が多く通っていた。彼らはアメリカ人であると同時に、韓国のことも心から愛していた。
ひとつ、忘れられない悲しい記憶がある。ある日、私たちはいつも通り、社会の授業を受けていた。ふと、クラスの友達が窓の外を見て、「雨だ。」と言った。すると、次々に皆が騒ぎ始めた。「放射能の雨が降る!」。結局その日は、外で遊ぶことは禁止され、部活動もキャンセルされた。私は、日本で本当に放射能のために苦しんでいる人たちを思うと、悔しい気持ちでいっぱいになった。
私は分かっていた。彼女たちは、私個人に対して放射能のことを言っているのではなくて、よくわからない「放射能」という目に見えない恐ろしいものにおびえて頭がいっぱいだったのだろう。
そんなことがあったけれども、彼らは日本のことを心から心配してくれた。毎日、日本のことを思って祈ってくれた。そして募金活動に積極的に参加してくれた。会う人、会う人、はげましの言葉をかけてくれた。
韓国と日本は、ベストフレンドみたいなものだと思う。時には激しいけんかもするけど、一番近くてお互いよくわかっている。近いからこそ、すぐに手をさしのべることができるのだと思う。
東日本大震災のときも、世界中でいち早く救助隊が駆けつけ、救助にあたってくれた。私は、韓国に本当に感謝している。2つの国の間には、解決しなければいけない難しい問題がたくさんあるけれど、日本人と韓国人の交流は、結びつきが深いと思う。私は、韓国の大切な友達と、これからもずっと仲良くしていきたい。
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私が感じた韓国
よき友に 戸惑い消えた…玉川聖学院高等部3年 廉睿燐
私の家族が日本に来たのは12年前の2000年です。小学校の高学年にもなれば私はクラスの中で、「外国人」としてだけでは、もう通用しなくなっていました。
どこからともなく聞こえ始めた「朝鮮人」という言葉には驚きました。悲しかったし、理解できませんでした。でもその時に何も言わず、ただ私のそばにいてくれた友人たちの存在の大きさが、今になって分かります。
そして、何よりも大きな影響となったのは、校長先生との出会いです。先生は幼い頃、広島で被爆され、その影響でご両親を亡くされました。その先生の毎週の朝礼は「命の大切さ」についてのお話でした。
「蟻と象の命の重さも、世界中の人々の命の重さもみんな同じ」という言葉は今でも私の胸にしっかりと残っています。この出会いがなかったのなら、私は残酷にも原爆や日本の敗戦を喜ぶだけの人間になっていたかもしれません。「戦争を起こしたのは日本だったけど、亡くなった命の重みはみんな同じだった。」と考えられるようにしてくださったことに感謝しています。
私は中学に入った時、友人の作り方が分からず、少々戸惑った時期もありました。「あくまでも私は特別なんかじゃない、ありのままでいられる友人を作りたい。」そう思うようになった時、私は韓国人であるという装備に頼らず、素直に友人を作ることができました。
言いたいことを言い合え、私の悪い面も指摘してくれたり、一緒に考えたり出来る友人や、悲しい時、静かに手を握ってくれる友人の存在が私の大きな自信です。彼女たちの存在が私の日本人への「気難しそう」という考えを改めさせ、温かさを与えてくれました。
また、昨年は修学旅行で私の母国、韓国に行ってきました。その際に友人に言われた「睿燐が韓国人でよかった、視野が広がって韓国が好きになれたよ。」という言葉は、この先も日本で生きていく中で大きな支えになると思います。
そして通訳という役割を下さった先生方のおかげで、自分の韓国語と日本語に自信を持つことができました。感謝しています。
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韓国の同世代のみんなに伝えたいこと
国を愛する心 お手本に…創価大学3年 官野 愛実
「愛国心」という言葉の定義は一体何なのでしょうか。文字通り純粋に国を愛する心でよいのでしょうか。
私がこう考える理由として、「愛国心」は日本の戦争中の、国へ忠義を誓う言葉としてのイメージが強く、それが結果的に多くの戦争被害者を生んだという暗い歴史を思い出させるということが挙げられます。
また、最近はさらに「愛国心」という言葉に強く疑問を感じます。なぜなら日本の報道番組を見ていて、あまり良くない意味で使われている場合が多いからです。そしてそれはアジア、特にお隣の国、韓国と「愛国心」が結び付けられる時なのです。
韓国人がソウルの日本大使館前に従軍慰安婦の像を設置したことも、領土の所有権を主張するデモを起こすことも、それらの行為は日本人にとってはどこか奇異で、熱を帯びすぎているのではないか、そしてそれは韓国人の異常なまでの「愛国心」からくるものだと、そう感じるように番組が構成されているのです。
韓国人は一般的に「国を愛する心」が強い民族だと思います。同じ大学に通う韓国人留学生や、韓国語語学研修で出会った済州島の友人達、どの人も韓国が好きだと言うし、その歴史のこともよく知っています。また今年の夏に独立記念館を訪れた時も、先史時代に始まり、日本帝国主義からの独立まで、一貫して民族の不屈の意志をうったえかける展示に、国を思う気持ちの強さを感じました。
私は韓国人のこういった精神を深く尊敬しています。なぜなら愛しているからこそ、自国のことを知ろうとするし、歴史も学ぼうとする。歴史を忘れてしまっては同じ過ちが繰り返されるかもしれません。
だから韓国人が国を愛することは、過去を忘れず、平和な未来を築いていくために大切なことなのです。
今、私たちが韓国と日本、それぞれの国に生まれたことには大きな意味があると思います。負の歴史があるからこそ、良いパートナーとなって、平和な未来をつくっていく使命があるのではないでしょうか。
(2012.10.12 民団新聞)
2013年07月02日 福島県剣道連盟
韓国で交流試合へ 県剣道連盟
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県剣道連盟は5日から韓国・ソウルに遠征し、大韓剣道会と交流試合を繰り広げる。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興に向け立ち上がる姿を、試合を通じてアピールする。
ソウル遠征は平成17年8月以来、8年ぶり。梅宮勇治会長が団長を務め、25人が5日から7日まで滞在する。親善試合と稽古を行い、震災と原発事故に伴い大韓剣道会から多くの義援金を受けたことへの感謝の意と、剣士たちが元気を取り戻したことを伝える。
梅宮会長と在日本大韓剣道会の大松京翼会長は1日、ソウル遠征報告のため福島民報社を訪れた。
梅宮会長は「親善の試合に取り組むことで、元気な姿を見せたい」と抱負を述べた。大松会長は「交流がさらに深まることを期待する」と語った。
県剣道連盟の安藤誠基常任理事、坂井芳晴須賀川支部長が一緒に訪れた。
( 2013/07/02 10:32カテゴリー:主要 )
参考
韓国で『日本が韓国に感謝祭』が開催される「日本は韓国の支援をずっと忘れないように」★2
2013年08月09日 昭和音楽大学と韓国の財団主催のコンサート
>川崎市の昭和音楽大学と韓国の文化事業を行う財団が初めて主催したもので、日本と韓国でそれぞれ行われた声楽のコンクールで入賞した高校生合わせて10人がステージに立ちました。
>日本の高校生たちは、韓国から寄せられた東日本大震災への支援に感謝するメッセージを韓国語で伝え、復興支援ソングの「花は咲く」を全員で合唱しました。
↑この高校生たちは昭和音楽大学に「裏口入学させてやる」とでも言われたの?
※神奈川県川崎市→在日の群棲地帯。
なお、このイベントについて報道したのはNHKのみ。
NHKが黒幕だったでござる。
画像のキャプション。数年後に役立つ…かも。
日韓高校生 「花は咲く」合唱
8月9日 4時10分
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声楽家を目指す日本と韓国の高校生の代表がソウルで合同のコンサートを開き、日韓関係が外交面でぎくしゃくするなか、日韓の若者たちが東日本大震災の復興支援ソング、「花は咲く」を一緒に歌って復興を祈りました。
8日夜、ソウル市内で開かれたコンサートは、川崎市の昭和音楽大学と韓国の文化事業を行う財団が初めて主催したもので、日本と韓国でそれぞれ行われた声楽のコンクールで入賞した高校生合わせて10人がステージに立ちました。
1人ずつ順番に美しい歌声を披露した後、日本の高校生たちは、韓国から寄せられた東日本大震災への支援に感謝するメッセージを韓国語で伝え、復興支援ソングの「花は咲く」を全員で合唱しました。
歌詞の一部は韓国語に翻訳されて歌われ、日本の高校生たちはこの日のために練習を重ねたということです。
若者たちのハーモニーが響きわたると、会場からは大きな拍手が送られ、アンコールでももう一度「花は咲く」を披露しました。
会場を訪れた韓国の女性は「両国の関係がよくないときでもこのような交流を通じてより近い隣国どうしになればいいと思います」と話していました。
2013年12月03日 鶴間健介・外務事務官「韓国に感謝するニダ」
>「東日本大震災の時、最初に到着した韓国救助隊とともに仙台に救助に出て行ったことが、外交官として仕事をした中で最も誇らしかった記憶」
参考:
台湾からの最速の支援の申し出を無下にして御膳立てしたうえで、東京への到着(被災地入りではない)が早かっただけなんですけどね。
「東日本大震災時、最初に駆けつけた韓国救助隊を忘れないで」日本の外務事務官
2013年12月03日09時43分
[中央日報/中央日報日本語版]
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「韓国人と日本人という集団の間には不信感があるが、集団ではない個人的レベルでは良い感情を持っている人が多いです。互いに交流を広めていって個人間の信頼を蓄積すれば、お互いの不信は克服可能な問題だと思います」。
「韓日の若手外交官交流事業」により先月25日から韓国外交部に派遣されてきた日本の鶴間健介・外務事務官(33)が2日、中央日報とのインタビューで、両国関係の梗塞状態を解消する方案として「信頼の蓄積」を提示した。日本の東京外国語大学で韓国語を専攻した彼は「2002年に韓国留学後、韓日関係を発展させようと外交官になった」と言う。韓日の外交官交流事業は1998年「韓日パートナーシップ共同宣言」の後続措置で、2001年以降は中断されていたが昨年再開した。鶴間事務官は日本の外務省職員として12年ぶりに韓国外交部に派遣された。
彼は、日本の集団的自衛権の推進と軍事大国化問題などの懸案について「両国国民の間で互いに誤解する部分があるため、対話や交流で認識の差を縮める努力をしなければならない」と話した。それと共に「研修時期に延世(ヨンセ)大学の大学院で国際関係ではなく教育学を専攻したが、韓国人の思考の底辺から理解しようとする努力の一環だった」として「お互いを理解する努力が両国関係の改善の土台になるべきだ」と強調した。
2005年から外務省極東アジア課で韓国を担当していた鶴間事務官は、在韓日本大使館勤務を含めて5年間、韓国で生活した。彼は「東日本大震災の時、最初に到着した韓国救助隊とともに仙台に救助に出て行ったことが、外交官として仕事をした中で最も誇らしかった記憶」としながら「当時、結婚式を1週間後に控えたある救助隊員の活動を見て、やはり韓日が最も近い隣国だと思った」と回想した。
彼は「韓日関係は色々な浮き沈みがあったが、大きな流れでは着実に発展してきた」として「2015年が韓日修交50周年なので、これを機に両国がもう少し近づくことができたらいい」と強調した。
韓国ageキャンペーン中?
同日の聯合ニュースでも出しゃばっている。なんなの?いくらもらってるの?
韓日の溝は「人的交流で解消を」=日本若手外交官
2013/12/02 17:44
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【ソウル聯合ニュース】「集団間の不信のようなものはあり得ますが、それは人の交流や、それぞれ相手国を直接訪問し人と会って話すことで解消されるのではないでしょうか」――。
韓日の若手外交官のための交流プログラムに伴い、先月25日から韓国外交部に派遣されている日本外務省の鶴間健介さん(33)が2日、聯合ニュースの取材に応じた。最近、韓日間の溝が深まっていることについて、活発な人的交流こそ「薬になる」との考えを示した。
鶴間さんは東京外国語大で朝鮮語を専攻後、2005年から外務省北東アジア課で勤務している。韓国の延世大大学院で教育学を専攻し、ソウルの日本大使館で勤務した経験もある。
韓日関係については「今の状況が必ずしも理想的とは言い難いかもしれませんが、両国関係の長い歴史をみると、良いときも良くなかったときもあった。大きな流れでみれば発展を続けてきたとみることができるのではないでしょうか」と語った。
日本の集団的自衛権行使容認をめぐる議論など、両国間の敏感な問題については「(両国国民の間で)理解する部分に少し認識の差がある」とした上で、互いの国を訪れ、人々と交流して対話を重ねることが誤解を解消する一番良い方法だと述べた。
韓日の国交が正常化した1965年は1万人程度にすぎなかった人的交流が今では550万人に達するほど活発になったことは、両国の関係に肯定的な影響を与えるだろうとの見通しを示した。
鶴間さんの派遣期間は2週間。「日本と韓国は関係が深く、業務的にも面白い」と話す。生活もしやすいため実際に韓国に来てみたいと思っている同期も多いという。
両国の若手外交官交流プログラムは1998年10月の金大中(キム・デジュン)大統領の訪日を機に始まり2001年に中断したが、昨年から再開された。
hjc@yna.co.kr
元韓国人疑惑
特定秘密保護法案 徹底批判(佐藤優×福島みずほ)その2
2013 年 12 月 4 日 8:55 PM | カテゴリー: 政治, 社会 | by admin |
タグ:佐藤優, 特定秘密保護法案, 福島みずほ
より抜粋
佐藤 私の知っている外務省の職員でも、日本国籍を取得した人がいます。もともと韓国籍だったとかね。
親が在日韓国人、在日朝鮮人で日本国籍を取得した人は何人もいますよ。そういう人たちはどうなるのか。
こういう人たちの力をきちんと活用しないのか。ようするに公務員というのは日本国民と日本国家に対して忠誠を誓っている人。
そういう人が公務員として受け入れられるのに、特定秘密保護法案は、一種の人種条項みたいな使われ方になりますよね。
鶴間健介は外務省の汚鮮源の一部なんですね、わかります。